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かつて「スキルを持った人」、今は「安物の労働者」の人材派遣
【人材派遣と労働者派遣の違いって?】
人材派遣を実施するための法律、「労働者派遣法」ができたのは、昭和61(1986)年です。それまでは禁止されていました。
ちなみに、法律上の言葉遣いではすべて「労働者派遣」です。
「労働者」だと、単に「働く人」の意味でしかありません。どちらかといえば、「あまり特別なスキルもなく、しんどい作業に耐えている人」「だれがやっても変わらないような仕事をしている人」「単純労働者」に近いイメージさえあります。
そこで、業者らが好んで使うのが「人材派遣」です。
「人材」と呼べば、そこには「その人ならではのスキルがある」「その人がいなければ職場が成り立たない」「雇用主側からは重宝されている」といったイメージを与えることができます。
ですが、実態としては、「人材」として扱われているのは、派遣労働者のうちのごく一部でしかありません。
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【かつての労働者供給事業が今の人材派遣】
禁止されていたのに、労働者派遣法成立以前には、なかったわけではありません。ここに人材派遣のいかがわしさのひとつがあります。
まず、江戸時代にはすでに、「人足貸し」「人入れ稼業」と呼ばれる業者がいました。この業者側が人手を確保していて、労働力の欲しいところに貸し出す形です。
労働者の立場は至って弱く、「やめようと思ってもやめさせてくれない」「仕事先が支払った給金は大幅にピンはねされる」「労働時間・安全性などの労働環境は全く無視される」といった、前近代的なものでした。
時代劇でいえば……ヤクザがやっていて、職人の側が「こんなんじゃあ、いくら働いても生活が楽にならない。このままでは殺される」と文句をいえば、殴るけるのひどい目に遭う……といったシーンを思い浮かべればいいでしょう。
これは明治以降も続きました。
日本は第二次世界大戦で敗れ、アメリカなどに占領されます。日本を統治したGHQが、労働者供給事業の前近代性に気が付き、そのGHQの手によってようやく廃止されました。
「この時点になっても、日本の役人や政治家は、労働者供給事業に問題を感じることはなかった」といいます。
【マンパワー、テンプスタッフなどが解禁前に人材派遣を始めてしまう】
一方、戦後のアメリカなどでは人材派遣が一般化していました。
昭和41(1966)年には、マンパワーが日本に進出し、事務所用のスタッフなどを派遣し始めます。これはまず、外資系企業から広まりまた。
ただ、ここで注意して欲しいのは、アメリカで普及し、日本に持ち込まれた際の人材派遣は、いま一般的にあるものとはやや様子が違うことです。
このころは、会計処理・データ作成など、それなりのスキルを持った人が派遣されていました。派遣先にすれば、「社内で専門的知識・技術・経験を持った者が見つけられない。だけどすぐに必要」「正社員にするほど、これから継続的にその専門的な仕事があるわけではない」という場合に派遣社員を使ったのです。
そうやって働く人たちの給料も、時間あたりで計算しなおせば、正社員よりも高いのが当たり前でした。つまり、本当に「人材」だったのです。
こうやってなし崩し的に始まった人材派遣を追認してしまったのが「労働者派遣法」だったのです。
当初はそれでも、戦前のヤクザがやっていた労働者供給事業にならないようにいろいろな規制がはめられていました。ですが、それらを破る業者がいると、取り締まるのではなく、規制の方を緩める形で、どんどん法律が変えられてきました。
それに伴って、日本の人材派遣は、次第に性格を変えていきます。今ではとうとう、スキルは目当てではなく、「正社員を使うよりも安い」「立場の弱い労働者だから、何でもやらせることができる」といったものになっています。はっきりといってしまうと、「安物の労働者」です。
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